
こんにちは。
たかちほ正史発酵蔵の三代目、竹之下正史です。
納豆で、実は僕があまり気にしていないことがあります。
それは、
ねばりです。
……と言うと、
「いや、納豆はねばりでしょ!」
って言われそうですね。
はい。
その通りです(笑)
ただ、毎日納豆と向き合っていると、
そこ、そんなに気にしなくなるんです。
混ぜなくても、だいたい分かるんです
僕が納豆の状態を見るとき、実はほとんど混ぜません。
納豆を食べるとき、ほとんどの納豆はシートがかぶさってますよね。
あれを、
ぺりっ。
と、少しだけ剥がす。
そのときの感触で、だいたい分かるんです。
シートを剥がすときに、
「お、今日もしっかりしてるな」
みたいな。
シートから伝わってくる圧というか、強さというか。
うまく言葉にするのが難しいんですが、ほんの少しの抵抗感で分かるんです。
なんなら、開封した瞬間に広がる香りでも、だいたい分かります。
「あ、今日の納豆はこんな感じね」
みたいな。
とはいえ、もちろんちゃんと確認もします。
シートの上から粒を掴んで、ちょっと持ち上げてみる。
それで、状態を確認する。
だから、納豆屋なのに、
混ぜることは、ほとんどありません。
混ぜるのは、
「ん?」
と、何か引っ掛かりを覚えたときくらいです。
そういうときは、ちゃんと対応します。
その話をするとまた別の話になるので、今回は言いません(笑)
ねばりは、そもそも大前提なんです
お客様に納豆のことをお伝えするときには、もちろんねばりにも触れます。
「ねばりがしっかりあって」とか、
「糸引きがこうで」とか。
ちゃんと伝えます。
でも、僕自身が納豆を見るときに、
「今日はねばりがすごい!」
と、そこを一番に見ているわけではありません。
なぜなら、
納豆は、ねばることが大前提だからです。
ねばりがある。
糸を引く。
それは納豆として、ある意味当たり前のこと。
だから僕にとっては、
「ねばってる。よし!」
で終わりなんです。
むしろ、
「その先はどうなの?」
というところを見ています。
そんなことより、僕が気にしているのは味
僕が納豆を食べるとき、一番気にしているのは、
味です。
ここは、かなり気にしています。
たとえば、カレー。
「カレーが好き」と言っても、
ここのカレーは好きだけど、あそこのカレーは苦手。
ありますよね。
ハンバーグでも、ラーメンでも同じ。
そのカテゴリーが好きだからといって、全部が好きなわけじゃない。
納豆も、それと同じだと思っています。
だから僕は、
「納豆なんだから、ねばっていればいい」
とは思っていません。
ねばることではなく、
おいしいかどうか。
そこを見ています。
どんなにねばっても、
不味い納豆は不味いです。
これは、納豆屋として、けっこう身も蓋もない話ですが(笑)
でも、僕はそう思っています。
だから、たんねん.も、
「ねばりがすごい納豆を作ろう」
から始まったわけではありません。
混ぜる前から、豆そのものの味が立っている。
大豆の味が来て、納豆の深いコクがあって、そのあとにやわらかな甘みが残る。
そして、食べ終わったあとまで、嫌な苦みやツンとした感じを残さない。
そういうところまで含めて、
「おいしい納豆」なんだ
と思い、仕上げています。
だから僕にとって、
「混ぜない」は、ねばりを否定する話ではありません。
ねばりに頼らなくても、
ちゃんと味でおいしい。
そこまで持っていきたい、という話なんです。
僕は、すべての人に「おいしい」と思ってもらいたいとは思っていません。
僕は、僕の思う「おいしい」を、ちゃんと出したい。
そのために毎日、納豆を見て、触って、香りを嗅いで、食べています。
シートをぺりっと剥がしたとき、
「今日も、いいな」
と思えるか。
最初のひと粒を食べた瞬間に、
「マジでうめーな」
と小声でつぶやけるか。
僕が気にしているのは、そっちです。
ねばりは、ちゃんとあります。
でも、それだけじゃない。
納豆屋の僕が見ているのは、ねばりの先にある「味」なんです。


























Share: